11 ページ11
*
靴を履き、そのまま三角座りをするように両膝を引き寄せ抱え込む。
…地味に体が痛い。
顔を顰めるほどではないけど、ピクリと眉毛が動くくらい。
体中の鈍痛はまだまだ健在だった。
病院で怪我の程度を見てもらい、あまりにも耐えられないようであれば痛み止めも処方すると言われたが、体を無理に動かさなければ我慢できるから断った。
医師の話では、打撲も頬の擦り傷も一週間ほどで良くなるそうだ。
目の前の楽屋入り口の扉をぼんやりと見つめながら、自然と肩の力が抜けていく。
萎びてしまうんじゃないかと思うほど、盛大なため息が漏れた。
直後に「あふぁ」とだらしなく口からこぼれたあくびを噛み殺す。
抱えた膝に額を軽く押し当て目を瞑った。
まだ18時だなんて信じられないくらい、今日が長く感じる。
長いし、それだけ内容も濃い。
今朝の仕事前、阿部さんと雰囲気の良い喫茶店でナポリタンを食べたのが、遥か昔のことのようにさえ感じる。
落ち着くとすぐに襲いかかってくる疲労感と強烈な眠気。
本当なら、明日休む分の仕事の割り振りを他のマネージャーさんにお願いしなければいけないのに、こうも脱力し切った体では、指一本動かすことさえ億劫だった。
鋼メンタルと称賛される岩本さんの受け売りで、普段から出来るだけ「疲れた」とか「出来ない」とかマイナスな発言はしないように心がけているが……さすがに今日くらいは弱音を吐いたっていいだろう。
一旦全部、忘れたい。
帰ったらお弁当を食べてシャワーだけ浴びてすぐに寝よう。
本日の営業はもうおしまい。
閉店ガラガラ──なんつって。
疲れと眠さに挟み撃ちにされていた私は、このとき間違いなく、完全に気を抜いていた。
小上がりの手前で体を丸めて小さくなりながら、連続して襲いかかるあくびと隠れて戦っていた様子を、阿部さんが背後からジッと見つめていたことなんて知る由もなかったワケで。
「Aさん」
だからふいに呼びかけられたとき、私は反応するどころか、いよいよ阿部さんの幻聴まで聞こえてきたのだと勘違いして無視してしまったのだ。
だって、声は阿部さんなのに、阿部さんっぽくない口ぶりだったから。
さっきまでの明るく元気に振る舞うような感じが一切なかったし、かといって病院からの帰り道みたいに問い詰めたり深刻そうな感じでもなく、もちろん怒っているわけでもない。
阿部さんの低い声が、私の丸まった背中にピッタリと張り付いたみたいだった。
852人がお気に入り
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:泥濘 | 作成日時:2024年4月16日 12時